『UNLOVED』と『害虫』を巡る会話

塩田明彦・万田邦敏・万田珠実

 2本の新作準備に超忙しい塩田明彦君を、私(万田邦敏)と妻珠実の二人が図々しくも彼の家に訪ね、三者による『UNLOVED』についての鼎談的雑談、あるいは雑談的鼎談を敢行した。塩田君は、1999年に『月光の囁き』『どこまでもいこう』でデビューし、同年の各種の新人監督賞をほぼ総なめにした気鋭の若手映画監督である。今年3月に公開された『害虫』は国内外で高い評価を得た。そんな彼を気安く君付けで呼んだりするのは、私にとって彼は大学時代の映画サークルの後輩であり、友人であるからだが、一方珠実にとっては、彼は同じサークルの親しい先輩でもあるからだ。三者の話は終始和やかな雰囲気の中で続けられ、話題は『UNLOVED』にとどまらず、『月光の囁き』『どこまでもいこう』『害虫』の間を行ったり来たりしつつ、黒沢清さん(『CURE』『回路』等)、青山真治君(『Helpless』『ユリイカ』等)の二監督にも飛び火した。黒沢さんは塩田、私、珠実にとって、これまた同大学のサークルの先輩、青山君はサークルは別だが同大学の親しい後輩である。再録にあたって、「A面」「B面」の見出しをつけることにするが、これは収録テープのA面、B面というだけの意味である。では、さっそく再録に取りかかろう。
------A面-----

珠実:ある雑誌の取材を受けたときに、女性記者の人が、『UNLOVED』を見てて、昔のドラマか映画のようだ、で、こう、言い方は悪いけどベタな感じがするって。仲村トオルさんが会社に最初来て、で、あのう、(邦敏に)あれ最初に会社が出てくるシーンのことだよね?

邦敏:最初のこと言ってたんだと思うよ。うん、うん。

珠実:だよね。(塩田に)社長室に入ってきて、いきなり窓に行って、立って外見ますよねえ。

塩田:うん、うん。

珠実:ああいうのって、なんかベタですよねえって。

邦敏:最近ああいうの見ないですよねって。あんなことやらせないですよねえって。俺はあそこはあんまりベタな感じはしなかったけどね。

珠実:そう、私もそう。あれでベタって言うのもすごい敏感だなって思ったんだけど。要するに、それは悪い意味で言ってるんじゃないって本人も言ってて、まあ、一種の安心感だと思うんですけど。見てる側に安心感を与えるっていう。

邦敏:今やもうあんまりやらなくなった、昔は、まあ、なんかあったけど、そういうベタな、こう、演出が随所にあって、すごく古い日本映画を見ているような気がしましたって。

珠実:で、たまたまなんだけど、その日家に帰ってメールチェックしてたら、私のお友達が、やっぱりなんか懐かしい感じがするのよねって、それが好きなんだっていう感想を書いてきてくれてて。で、ああ、そう思うんだなって。まず目立つのは、やっぱり、その、特に海外で言われやすいんだろうけど、能面のような役者達の演技の付け方と、

塩田:うん、うん。

珠実:棒読みの台詞と、

塩田:棒読みって、海外でわかるの?

珠実:棒読みはこっちで言われるのかな。それがやっぱり、そのう、まあ、よく言えば綿密に計算された演出とか、隙のない、無駄のない演出とか言われるわけだけど、そっちのほうが目立つじゃない、まずは。ただ、見る人によっては、そういう、むしろスタンダードな、オーソドックスな演出という部分も見えてくるっていうのを、最近になって気づいて。

塩田:ぼくもスタンダードだとか懐かしいとか言われるんだけど、そのスタンダードだって言われる、そのお客さんの感じとるスタンダードだっていう基準がね、ひとつには、映画を見ていて、今何が起きているのかがわかる。当たり前のことなんだけど、

珠実:いや、そういう意味じゃ、この人(邦敏)の映画、わかりにくいよ。

塩田:いや、いや、わかるよ。たとえばホテルのロビーで金持ち風の老婦人が初めて登場するところとか、あれ、この人誰?って思ったすぐ後で、ああ、仲村トオルの会社のスポンサーかって。無理なくちゃんとわかる。誰だよこの人はって、客は迷ったりはしないでしょ。そりゃ世の中広いから、もしかしたらわからないって人もいるかもしれないけども、

珠実:うん、まあそういうことならね、でもね…、

塩田:いやいや、でも、たとえば、その場所が何ていう名前の湖かは知らないけど、そこに男女がいて、今別れ話が始まっているっていうのはわかるんだよね。で、必要最低限のことが十分わからせられている、っていうね。このくらいシンプルなことがじつはけっこう重要で、それがわかると、映画は、すごい安心感をもたらすんだよ、客に。

珠実:うん、

塩田:だから、『月光の囁き』とか『どこまでもいこう』とか、ある程度それがわかるから、ぶっきらぼうでも、

珠実:うん、

塩田:スタンダードな感じがするんだよね。で、『UNLOVED』もそういう言われ方をしているっていうのが、まずひとつ、あると思う。青山真治の映画っていうのは、『ユリイカ』以外は、やっぱわかんないとこがあるんだよ、今何が起こってるの?っていうのが。

珠実:うん、うん、

塩田:何が問題になってるの?っていう。ときに混乱することがある。もちろん、意図されたものだろうけども。ま、『害虫』撮ったぼくがこんなこというのもなんなんだけど、

珠実:うん、うん、

塩田:で、黒沢さんの映画もそうなんだよ。

珠実:うん。

塩田:黒沢さんの場合、どこまで意図したものかわかんないけど、いや、わかんないよ、っていう。

珠実:うん。

塩田:っていうところがあるのね、いい、悪い、とはまた別の次元で。

珠実:うん。

塩田:で、やっぱ、わかんないものを、なんか見せつけられてる感じがすると、人は、現代映画だと思うっていう、そういうすごい浅いレベルでの物事の見分けっていうのが観客の側にはひとつある。

珠実:うん、うん、

塩田:で、もうひとつは、お芝居が、現代映画は自然主義なんだよね。

珠実:うん。

塩田:徹底した自然主義で、もう、スクリーンの内側の芝居と見てる私たちの言動との間に差がなければないほど現代っぽいんだよ。要するに、それは、あたかも演じてないかのよう、

珠実:うん、

塩田:ってのが最高の称賛になるっていうね。だけど、そんなもん嘘っぱちだろ、っていうのがじつはぼくはあって。それは多分どっかで、万田さんが典型だけど、黒沢さんとか青山も多分ある。で、何ていうのかな、まあ、ヨーロッパでいえばエリック・ロメールだったり、アメリカでいえばジョン・カサベテスだったりの、悪影響としての自然主義、もとはよかったけどそれが形骸化したときの、自然主義的な芝居の、一言で言えることを1分かけた芝居で言うっていうね、とにかく物事が冗長になるっていうね。

珠実:うん、うん、

塩田:「好きだ」って言うのに、その前に台詞10個くらい重ねないと「好きだ」が出てこないっていう世界だよね、一言で言うとさ。

珠実:うん。

塩田:で、この二つに、つまり、その1.わかりにくさに背を向ける、その2.自然主義に背を向ける、この二つが、一般の、そんなに映画に対して厳密にものを考えてないレベルでの、映画を見たときの、映画に対する、ある懐かしさを喚起する、懐かしさっていうかな、古いっていう印象を与えるものがある。まあ、三つ目の基準は、音楽の使い方だよね。ナウい音楽がかかってれば今っぽいってね。ナウい映像とナウい音楽でプロモ風に撮れば、(ここで突然、塩田はテーブル上のティッシュケースからティッシュを1枚抜き取り、傍らのテレビのブラウン管をせっせと拭きだした)

珠実:なんでそんなこと急にするかなあ。あはははは。変な人だなあ。

塩田:まあ、まあ、まあ、

珠実・邦敏:あはははは。

塩田:(拭き終わって)まあ、それはあると思うんだよね。まあ、その、その点においては、『UNLOVED』が一種、そのう、それでもお客さんは何にも考えずに、大概の人は普通に見ちゃうと思うけど、何かしら敏感にものを見ようとしている人とかは、そういう懐かしさを感じるっていうことがあるかもしれないっていうふうに思うんだけど。

邦敏:『UNLOVED』がそういうわかりやすさと、お芝居も反自然主義になってるっていうのは、懐かしいわけだ、昔風になってるわけだ。

塩田:お芝居が自然主義か反自然主義かっていうのは、わかりやすさの問題とは別の次元で、

邦敏:うん、うん。

塩田:なんですよね。物語としての「嘘度」の問題というかさ。フィクション性を、こう、自然主義では、嘘話のレベルを下げていかざるを得ないっていうかさ。自然主義で大嘘は、あの、要するにカサベテスのような人間描写で火星人襲来は描けないっていう、

珠実:ははははは(大受け)

塩田:火星人の自然主義は何だ、っていう問題も起こってくるし、

珠実:ははははは。

塩田:単純に言えばそういうことなんですよね。要するに、物語の語るべき主題もどんどん日常レベルに下げてこないと、っていうか下がることで自然主義が成立するっていうことがあるわけで。だから、嘘度の問題っていうのがひとつあるんだよね。

邦敏:うん。

塩田:『UNLOVED』の場合、懐かしいんだけど人を混乱させるのは、一見極めて日常的な素材の中で、嘘度の高い映画に必要とされる芝居を、どっかやろうとしてるフシがあるんで、そういうのは過去にいたわけですよ、そういうことをやろうとしたのは、数少ないけども。例えば、小津安二郎であり、増村保造であり、ときとして大島渚であったり、鈴木清順であったりっていう、ある種の昔の人たちもそういうふうなことはやってたんだけど、ま、特に増村、小津っていうのが、やっぱ出てくるんだと思うんだけど。だから、その、何だろう、それが懐かしいと思うかどうかは別にして、何で『UNLOVED』はそうなっちゃうかってことには、多分理由があって、万田さんの演出意図にね。やっぱり、その、人間の心の機微や情緒をね、語ろうとしてない、っていうね。日常レベルでの、ある程度、こう、絞り込んだ人間関係なり、男女関係なりの物語をやろうとしたときに、カサベテスなんかを参考にして自然主義でやるっていうのはひとつの手法としてあるんだけど、そうじゃないわけだよね。で、そうじゃないときに、『UNLOVED』は何をやってるかっていうと、価値観の闘争をやってる。人間が、気持ちと一体化した存在として掴まえられてるんじゃなくて、考え方と一体化した存在、つまり、この考え方なくして私が存在しえないっていうとこでのアイデンティティーの掴み方をしていて。それは価値観なわけじゃないですか。で、だから、考え方が違うから人が喧嘩する、ぶつかりあうっていうね。つまり、顔の美醜とかね、あなたのことはどうしてもやっぱ好きになれない、とかね、生理的に、とかね、やっぱり甘い言葉を囁いてくれるあの人が好き、とかね、そういうところの心の機微とかじゃないっていうね。

珠実:うん、

塩田:で、そうすると、もう、考え方の違いによって人間が動いていくっていうのは、ある種、関係構造の問題っていうか、構造的な問題だから、その、構造を浮き上がらせるためには、目先の機微に目がいっちゃ困るっていうとこがあって、そうすると、どういう関係性が今ここに生じているのか、っていうことを厳密に提示していかなくちゃいけないっていうことになると思うんですよ。万田さんがやったのはたぶんそれで、厳密な関係構造をいかに画面に定着させていって、そこで、どういう言い方をしてるかじゃなくて。要するに、「あたし、あんたなんか嫌い」っていう言葉にも百通りのニュアンスがあるんだっていうね、ことではない。つまり、映画っていうのはしばしば「あんたが嫌い」っていう言葉がほんとは好きだっていう気持ちを伝えてしまったり、「あんたが嫌い」っていうことが、もう、もう、本当に最後の拒絶として聞こえたり、同じ台詞でもいろんな意味に聞こえる。そのニュアンス勝負っていうのが世にいうところのドラマであり、感情の機微であり、情緒であり、悲哀でありっていう。つまり、お芝居ってのは普通そうなんだけど、『UNLOVED』はそうではなくて、言ってることに間違いがないっていうこと 。

珠実:ふふふふ(静かに笑う)

塩田:「私はこの生活が好きだ」って言うことに言外の意味がないっていうこと。

珠実:ははははは。

邦敏:そうなんだよな、言外の意味がないんだよな。

塩田:うん。この言葉を聞けよっていう。それは語尾でニュアンスを含んだ言い方であっちゃいけないっていう。

邦敏:うん。

塩田:だから、内容を読み取れと。形式の機微じゃないんだと。

邦敏:うん。

塩田:内容を聞き取れ、聞こえてくる言葉を文字通りに受け取れと。そう思うと、やっぱり、この言葉を正確に話してくれっていう、多分、そういう演出を万田さんはしたんでしょ。

あははははは。

珠実:もう、さあ、可笑しいねえ。

邦敏:いや、いや、いや。

珠実:もうさあ、言われるとさあ、そうだったのかあって、どんどんそういう気になってくるよね。そんなこと全然考えてなかったよね。

邦敏:あは、あは、あは。いや、確かに、言われればそう考えてたのかなって、

珠実:いや、だからさ、そう言われると、ああ、そういうことだったのかあって思うけどさあ。

邦敏:うまく言うわな、塩田は。

塩田:いや、いや、でも、そういうことですよね。

邦敏:だからそれはあれかしら、もうちょっと柔らかく言うと、人を気分とか情緒とかで捉えてないっていうことかしらね。

塩田:そうですねえ、ええ。

邦敏:それを出そうとしてないっていうか。

塩田:ええ。

邦敏:で、それは塩田の場合だと、あのう、どうなの、もっとそういう機微とか感情とかいうもので人を捉えて、演出していったり、脚本書いたりとか。

塩田:うん、ぼくはね、そこが万田さんと共通しつつ、ぼくが違うのは、ぼくは両方やろうっていう、この、ものすごい高度、高度っていうと失礼なんですけども、

あははははは。

邦敏:いや、いや、いいっすよ。

塩田:あの、野心的なことを自分に科してて、そのう、『月光の囁き』も、一方に感情の機微以外の何ものでもない初々しい恋愛の、こう、情緒があって、しかし、その裏に隠しようもなく見えてくる、権力構造の絶対性みたいな、決して人が均等な関係を結ばないっていう、その、ダブルスタンダードをいっつもやろうとするんですよ。

邦敏:うん、うん。

塩田:で、表面を剥いでいくと構造が見えてくるっていうような。最初、柔らかーいパッケージの入り方をして、どんどん剥いでいくとむき出しの構造が見えてきちゃうみたいな、そういう映画を作ろうとしてて、それは『月光の囁き』と『どこまでもいこう』は両方ともそうなんですよ。柔らかーい、とっつきやすーい、当たりのいいとこで始めるんですよ。で、徐々に、構造むき出しの世界に連れていくっていう。

邦敏:今言った、情緒と権力構造を同時にっていうのはさ、ぼくが聞いてると、多分増村っていうのがそういうふうな感じになって、ぼくもそれをやりたいなって思ってるんだけど、増村みたいなものは特に眼中にはないわけ?

珠実:増村には、やっぱそういう意味の、塩田さんがやってるような叙情的っていうか、そういう情緒的な演出はないよね。

塩田:あのね、ぼくのほうがゆるいっていうかですね、

珠実:あのう、『害虫』で、川べりかなんかで、若い二人が、ほら、宮崎あおいが彼の肩に頭をのせるシーンで、こう、グーッとくるわけですよね。ああ、もうこんな憎らしい演出してぇ、って。そう思ったら、塩田さん自身演出しながら、いいなあ、若い人はって思ってたっていうんで、ちょっと許してあげようかなって思ったりしたんだけど。それで、ああいうのに代表される、いわゆる恋の、恋をし始めてドキドキしてるとか、そういうのはほんとは私やりたいんだけど。

塩田:心の機微だよねえ。

珠実:そう、そう。そういうのができたら一番いい。もし、恋愛映画をやるんだとしたらね、恋愛映画で見どころはもうそれだけしかないし、それが1個あれば、もうそれでいい。

塩田:うん、うん。

珠実:で、一番いいのは、だから、如何にキスシーンでドキドキできるか。キスシーンがよければ、それがもう、何よりなんですよ。それが一番の目標達成、私にとっては。で、それは無理だと思うんですよね、この人(邦敏)には。この人にそういう演出っていうのは、絶対。

塩田:いや、そんなことはないと思うけど、ぼくは。

珠実:いやあ、無理なんです。

塩田:万田さんはねえ、そういうほのかな心の機微を得意とする人ではないかもしれないけども、こう、ダイナミックな心の揺れ動きは撮れる人だと思うんだ。

珠実:例えば?

塩田:いや、わかんないんだけど。

あははははは。

塩田:いや、『逃走の線を引け』(万田の8ミリ作品)の記憶が、やっぱ、ある種ね。

珠実:ああ。

塩田:だから、ほんとは万田さんはアクションの中で感情が沸き起こってくるのが得意で、

珠実:でも、ほかに見たことないけどなあ。

塩田:え、万田さんは本質的に、アクション映画の人、なんだよね。まず、アクションがありきで、アクションの中に、こう、いろんなエモーションが立ち上がってきちゃうっていうことをやらせれば、きっとものすごいうまい。けども、そういうアクションがありきで、なんかやるっていう世界とは別のことを今ここでやろうとした瞬間に、徹底的に厳密さの方向に走っていくんだ、きっと万田さんは。本人目の前にして言うのもなんだけど。

あははははは。

塩田:で、ぼくはぼくでね、

珠実:(遮って)でもね、恋愛にはあんまりアクションは関係ないじゃない!

塩田:え、いや、関係あるんだって。あるんだけど、

珠実:そうかなあ。

塩田:うん。

邦敏:で、ぼくは、ぼくで?

塩田:ええ、ぼくはぼくで、抱える矛盾っていうのがあって、そのう、まさに珠実ちゃんが指摘してくれた心の機微をね、とか初恋の初々しさとかね、そういう、ある種歌謡曲だよ。絵に描いたような青春歌謡のような世界がね、好きなんだよね。で、やろうと思うとけっこうできちゃうっていうところがあって。で、一方で、何ていうのかな、こう、人間を、駒のように見たいっていうかね、っていうか、『月光の囁き』とか『どこまでもいこう』も、関係構造をかなり意識しつつも、なおかつ、しかしそれだけでやってしまうと、現代映画の、ぼくの考えている弊害に陥っちゃうっていうね、わかる人だけわかればいいっていうね。こう、極端であることの凄みは出るけども、一般観客を入り口で落としちゃうっていう、そういう弊害があるじゃないですか。

珠実:見てる人が感情移入できるとかできないとか、そういうこと?

塩田:そう、そう。見てる人が感情移入できないし、高度に映画を見慣れてないと、どんなにこっちが頑張っても、相手は徹底して心の機微しか見ようとしてないから、いくらこっちが構造を描こうとしても、心の機微が見えないっていうふうにしか思われないっていうのがあって、客を取りこぼしちゃう、多くの人を。もう少し誘い水を与えてあげればついてくる客を落としちゃう。で、作家の側も、ある種の孤高ぶりの中に居直っていく、わかる人にだけわかりゃあいいんだっていうね。そりゃ、ダメだと。っていうか、そういう人がいてもいいんだけど、ぼくは違うと。ある程度ね、柔らかいパッケージで入っていくっていうのは、お客さんを段階踏んで運んでいくっていうね。いきなりハシゴを外すようなことはしないと。少しずつ少しずつもっていってあげれば、絶対ついてこれるんだから、彼らはっていうね。で、最後にボーンと、ここまで来ちゃいましたあ、っていうふうにやると、けっこうついてきてくれるっていうのがわかって。でも、それ故の矛盾っていうのもあって、柔らかいパッケージの世界とむき出しの構造の世界っていうのが、いろいろ共存してきちゃうから、映画がひとつの統一体になりにくくなってくるんだよね。いろんな矛盾した要素が挟まってくるっていう。で、それをぼくは是としていて、

邦敏:統一しないということを是としている、

塩田:そう、そう。で、『害虫』に関しては、何だろう、より確信的にむき出しの関係構造をやろうとしたんだけども、そのときに、何だろう、やっぱり、『UNLOVED』とは似ていて違うんですよね。『害虫』はいろんな関係が主人公をメインに、こう、描かれていくんだけど、母親の愛人を除いて、誰も悪意がない。誰も悪意がないにもかかわらず、関係に悪意がこもってしまう。っていうか、これは、あの、説明が難しいんですけども、ある主体があって、主体っていうのは登場人物の主体があって、で、もうひとつの主体があって、この関係性が構造的に規定されちゃってるっていうことを描くときに、無垢な人と悪意ある人がいて、で、悪意ある人の計略によって無垢な人がおとしめられていく、とかね、そういうお話の作りっていうのがひとつあるじゃないですか、

(と、ここで録音テープのA面が終わってしまったのだが、迂闊にも私はそれに気づかなかった。で、B面までの数分間の空白を埋めるために、その間塩田が語ったことを記憶をたよりに私がまとめることにする。塩田は、上に語った人間関係のあり方とそのあり方を基軸とした物語をひとつの古典的な型としたうえで、現代的な人間関係を鋭く描いている映画として黒沢清の『CURE』と塩田自身の『害虫』と私の『UNLOVED』を挙げる。まず『CURE』の人間関係では、悪意が主体から切り離され、悪意は主体の意志とは無関係にあたかもひとつのスキルとして世界に伝播する。善悪という関係の絶対軸の喪失のもとでの、加害者と被害者の現代的な関係が提示されている、という。『害虫』では、前述のように善意をもった者同士の関係が、主体の意志とは無関係に悪意の関係を取り結んでしまう。関係自体の中に悪意が潜り込んでしまう。その悪意が人間関係を不穏なものにしてしまう。主体の善意の働きかけが悪意の関係を改善しないばかりでなく、ますますすれ違いを演じ、関係それ自体の中に潜む悪意を加速させてしまう、という。『UNLOVED』では、善悪の絶対的な軸がひたすら個の中に求められ、個と個の価値観を巡って、人物同士が闘争をする。その闘争だけが描かれている、という。ここで塩田が『CURE』『害虫』『UNLOVED』の3本を挙げたのには、もちろん幾分かの党派的なジョークが含まれているし、『害虫』を語るときの塩田に常に自嘲気味の笑みが浮かんでいたことは付け加えておかなければならない。さて、これで空白部分は埋まった。引き続きB面の再録を続行しよう)

------B面------

塩田:で、そういう威勢のいいことを言ってね、そこから先はまだ詰め切れてないわけだ。

珠実:そこから先があるの?

塩田:ただ、ある種の衝撃度においては、こう、ま、『害虫』は置くとしてもね、『CURE』があって、『UNLOVED』があるという衝撃はあったんですよ、正直ね。すごいものを提出してるんですよ、きっとね。だから『UNLOVED』の場合は、その、人物把握が感情の機微と全然ずれてるっていうところが、まずひとつだろうし、多分徹底的に明快で厳密だったと思う。

珠実:でもさあ、ずれてるっていうのはさあ、例えば『害虫』なんかでは、主人公の女の子が何を考えてるのか、どういう子なのかよくわからないっていうような受け取られ方を、

塩田:するねえ。

珠実:するよねえ。そういうのも『UNLOVED』にはあるっていうこと?

塩田:いやいや、違う。だから、そこが『害虫』と『UNLOVED』は違ってて、『害虫』は、あれは複雑な感情を、物語として単一のエモーションに還元しないで語ろうとしたのね。だから、複数のことが常に同時に語られようとしていて、よくぼくが例に取りだすのは、当たり屋の不良少年の子がいなくなっちゃって、主人公がうちに帰ってくると、お母さんの愛人が来ていて、一緒に鍋やってる、で、主人公の部屋、ってシーンが進むんだけど、主人公は机に突っ伏してて、涙は流してないんだけど泣いたような目で、ビー玉の入った瓶ををバラバラッと倒すっていう。

珠実:うん、うん、

塩田:で、ガラガラーって倒すときに、ぼくは複数の感情を同時に描こうとしていて、ひとつには単純に自分がやっと気の合った、好きになれたかもしれない男の子がいなくなっちゃって、悲しいっていうのがあるんだけど、同時に、私は全然自分の人生を自分でコントロールできていないっていう無力感っていうのがあって、で、さらには、なんでうちの母親はあんな男をうちに連れ込んでいるんだっていう、親に対する反発心ね。それを床に転がっていくビー玉で一挙に描こうっていう、そういうのがあったんだよね。ジャラジャラジャラーって、いつまでも鳴り止まない音で無力感を出しつつ、ビー玉の転がっていく感覚で悲しみを出しつつ、それから主人公の表情もね。で、ビー玉の転がっていく音が、その床の下にいる二人への抗議の音としての響きでもあるっていう。そういうような感じが伝わるかなあ、って思ったんだけど、これが意外に伝わんないっていうね、

邦敏:でも、そこまで明確に幾つかの感情をはっきり区別して言えないけど、なんか混沌とした感じで、あそこがあるっていうのは伝わってるでしょ。彼女の気持ちが、何か今すごく複雑に、ごちゃごちゃしてるっていうのは、伝わるんじゃないの。(珠実に)そうじゃないの? ダメなの、あそこ?

珠実:うん、わたしはね。うーん、

邦敏:そう? ちょっと作りすぎてる感じ?

珠実:出そうと思ってる意図がビー玉によってわかっちゃうっていうか…。ビー玉を転がすっていうのが、ああ、演出だなってわかっちゃうじゃないですか。

塩田:厳しい。

珠実:女の子の気持ちを表してるんだろうけど、こういう時ほんとにこういうことするかしら?ってつい思ってしまうっていうのもあるし。これは趣味の問題なんだろうけど。だからって、今塩田さんが言ったようなことを、言葉で確認して、自分の頭の中で整理しちゃっても、またつまんなくなっちゃう。だから、そこが、こう、これとこれとこれがあって悲嘆に暮れてるんだなあ、ってはっきりさせたくないっていうのもあるし。

塩田:いや、それはもちろんそう。全体を言葉にして客に伝えようとはこっちも思ってなくて、

珠実:思ってないよね。

塩田:うん。物語一歩手前のエモーションのかたまりとして、物事を転がしたいっていうのがあって。で、だからぼくはすごい曖昧なことをね、やってるんですよ。

珠実:それがすごく難しいよね。うまくいったら、それだけでその映画は成功だって思うけど。私は、正直に言っちゃうと、『UNLOVED』を書いてたとき、監督の演出力を信頼してなかったから、全部言葉で言っちゃおうって思ってたの。でも監督さんの仕事って、やっぱりあれだね、すごいことしてるよねえ。言葉でじゃなく、いろんなことを伝えようとするのに、効果的な演出を一つ選ばなきゃいけないっていうのが。私だったらなんか怖くてできないっていうか…、すごい勇気と決断がいるっていうか。

塩田:それはね、勇気と決断なんだよ。

三人:あははははは。

塩田:でも、それは万田さんもやってて、

珠実:そうなんだねえ。

塩田:ぼくはそういうのがうまくいけば、観客を情緒的に揺り動かすことができると思ってて、で、捨ててないんだよね、客を情緒的に動かすっていうことを、まったくは捨ててなくて。で、なおかつ反対の世界もやろうとするから、あっちこっち矛盾が生じるのよ。だけど、『UNLOVED』は、やっぱそういう感情の機微では勝負してなくって、こう、もっと、ほんとうに関係構造にイデオロギー闘争を重ねてるっていうことだよね。そこだけを徹底的に描いて、それを空間的に視覚化していくっていう。アパートの上に住む女と下に住む男がいて、で、そこに四駆の高級車を乗りつけて、ビームライトで照らしにかかってくるね、強力な光で照らしにかかってくる男がいて、っていう。もちろんアパートと男の住んでるマンションとの視覚的な対比もあって。ね、ほとんどその関係構造を空間構造に変換して、価値観の違いを視覚的な空間の違いに、もっていくわけじゃない。それぞれの仕事先も全然違うわけでしょ。もう、あそこまでベタに金持ちと貧乏人を視覚的に描き分けることが、あの明快さがある種古典的に感じられるっていうのがあるんでしょうね。それは、もう徹底してて、その徹底ぶりが『UNLOVED』はすごくて、そういう、何か図式を徹底していくっていう、図式的な明快さで出してくるっていうのは、やっぱり万田さんが一番やってるんですよね。黒沢さんとかぼくは、どっかこう、曖昧な濁ったところがあるんだけど。黒沢さんが一番濁ってて、

邦敏:濁ってるよね。

塩田:ぼくはかなり明快なんだけど、濁ってて、で、万田さんがすごく透明なところをガーンとやっちゃったっていう感じ。

珠実:塩田さんの濁り方っていうのは、今言ってたみたいな、その、感情の機微みたいなものを取り込もうとするから、そうなっていく、

塩田:そう、そう。

珠実:黒沢さんは、何で?

塩田:黒沢さんは、全然別の、あのう、…何でだろうね。

うふふふふふ。

珠実:何だろうね。さっきの話、繰り返して悪いんだけど、黒沢さんもこの人も、恋愛のドキドキ感が、きっと自分で実感がないんだよね。実体験として。

邦敏:いや、それはあるんだけど、有りようがやっぱちょっと違うんだと思うんだよ。あなたの言ってるそのドキドキ感と。そりゃ、ドキドキはあるよ、そりゃあ。

珠実:あははははは。

塩田:黒沢さんはないかもしれない。

あはははははは。

珠実:だから、やっぱりそういう演出もできないと思うんだよ。そういう資質の違いって、やっぱあるじゃない。

塩田:もちろんね。

珠実:うん。だから、それは見てる側と合うか合わないかももちろんあって、さっきのビー玉も、私から見るととってもセンチメンタルな、ロマンチックな、乙女チックな感じなんですよ。だけど、いや、もちろんインターネットの掲示板なんか見てても、あそこがよかったーっていうのはあったよ。

塩田:宮崎あおいの顔が素晴らしいじゃないですか、あそこは。

珠実:また、そういうふうにはなかなか見られないんだよね。女だからかなあ。

塩田:いや、いや、いや。おれは、あそこでぇ、

ひひひひ。

塩田:自作擁護なんだけど、あれを演出しているときに、迷ったんだよね。やっぱ、ここで客のハートをグッと掴んどいて、学園パートに入っていくっていう、いきなりトーンが転換していくっていうね。

邦敏:あ、そうか、あそこでトーンが変わるのか。

塩田:うん。っていうのがいいかなあって思って。それで、最初は泣いてもらおうと思ってたのよ。宮崎さんに。で、泣いて下さいって、目に涙を溜めてくださいって。少女の気持ちをわかりやすーく出したいなって思って。でも、泣けないんだよ。『ユリイカ』でも泣けなかったっていう話をインタビューでしてたんで、きっと泣けないんだろうなって思って。で、後もう一回やって泣けなかったら、目薬差すよって。

珠実:うん、

塩田:でも、すごい嫌がる。芝居で嘘をやることを嫌がる子で、そういうところにぼくはすごい好感をもったんだけど、もう一回やって泣けなかったら目薬ねって言って、挑戦してもらおうっていって、で、やっても、やっぱ泣けないんだよね。で、目薬差してみようかって、で、差しても、泣いた目つきにならない。泣こうとしてるから、だんだん目が腫れ上がってきてるんだけど、涙が出ない感じなんだよね。でね、それを見ていて、撮影3日目か4日目なんだけど、あ、この映画の主人公ってこういう人なんだ、って。要するに、涙も出ないって悲しいなあ、って思って。で、やっぱ涙は出なくていいって。泣きたいのに泣けないっていう、その感じでいこうって。ぼくはあの顔がすごく好きで、あの顔見て、主人公を掴んだっていうとこがあって。それで、あそこのシーンが、ぼくはすごく好きなのよ。

珠実:うん、うん。

塩田:だから、で、そうそう、ぼくはね、自分の映画の役者をね、ものすごく魅力的に撮りたいんだよね。それはね、もう、理屈じゃないんだよね。理屈じゃなくて、役者本人が来ちゃうと、役者さんと会っちゃうと、この役者さんのためになんかしてあげたい、っていうサービス精神がついつい起こっちゃうんだよね。

珠実:うん、うん、

塩田:で、そうすると、ほんとは映画の世界としては、登場人物は駒でいいはずなのに、駒以上の存在感を与えちゃうんだよね、その人に。

珠実:そういう側面でも、情緒が出てくるわけね。

塩田:そう、そう、そう。

珠実:シナリオ上ではないところで。

塩田:うん。

珠実:このひと(邦敏)は完全に駒として扱ってますからね。

邦敏:そう、そう。

塩田:でも、駒として扱ったから役者が立たないっていうことじゃなくて、黒沢さんなんかもそうだけど、あの、すごい魅力的じゃないですか。万田さんの映画の仲村さんとかも、松岡さんとかも、森口瑤子さんもすごくいいと思うのね。駒として扱ったから、役者の魅力が立たないっていうことは、全然ないの。なおかつ立ってきちゃうっていうのが映画の面白さなんだけど。立たせ方が、厳密さに徹底するところで立ってくる。小津なり、増村なり。万田さん、黒沢さんの立ち方と、ぼくのやってる立ち方とちょっと違ってて、ぼくはカサベテスっぽいっていうか、溝口ぽいっていうか、なんだろうなっていう。要するに役者の生のところを、

邦敏:8ミリ撮ってたときの役者って、みんな、知ってる連中だったからさあ、この人はどういうときに一番可笑しいかとか、一番よく見えるかっていうのを知ってるわけじゃない。それは映画の中に取り込もうっていう気になってるわけじゃない、8ミリのときは。それが、やっぱり、プロで映画作るときに、まったく今まで知らなかった人が来るからさ。そういう関係にまでもっていってから作ると、また違ってくるとは思うけど。

珠実:いや、でも、それは受け身でしょ、あくまでもさ。わかればやるよっていうことでしょ。

邦敏:そう、そう、そう。

珠実:そうじゃない、塩田さんは自分からやってあげようって思うんだからさ。

塩田:こども相手にしてると、こどもっていうか、若い人相手にしてるとやりやすいっていうのが、あるんだよね。

珠実:あー、そうか。

塩田:うん。

珠実:この間の蓮實先生とこの人の話は全然聞いてない?

塩田:聞いてない。

珠実:そんな話もちょっと出たよ。女性を撮るっていうことで、黒沢さんと青山君は女性をまったく撮らないじゃないですか。で、万田さんは撮りますよねえって。塩田さんは撮るんですけど、ガキだからねえって。

塩田:誰が?

珠実:先生が。

あははははは。

珠実:言ってたんだけど。

塩田:ガキだから!? 

珠実:撮る対象がガキですよねえ、って。言ったのね。

(邦敏が珠実をたしなめて、珠実の膝を何度も叩く)

珠実:だって、みんなが聞いてたよ。パンフレットにも載るって言ってたじゃない。

邦敏:そこが載るかどうかは知らないよ。

あははははは。

塩田:いや、ほんとにそうなんだけど。

珠実:でも、一番、女性を撮ってるのは塩田さんだよね。愛情をもった眼差しというか。

邦敏:生身な感じでっていうことでしょ。

珠実:そう、そう。

邦敏:話は戻るんですけど、さっき塩田が『害虫』では、悪意が主体から離れて関係の中に滲み出てくるって、で、それが現代かなっていう、現代の捉え方かなっていう話をしたんだけど、

塩田:うん、

邦敏:そういうときに、やっぱり自分の映画を撮るときに、これが今、現代性っていうような、つまり、自分のやろうとしてることに、現代的な意味があるのかなっていうことは考えるの?

塩田:あのね、考えますね。ぼくはじつは考えてるんですよ。『月光の囁き』とかも、非常にある種の古典性をもった映画だみたいなね、新古典主義だみたいな言われ方をしたんだけども、いや、だって、こんなの、いままでなかったでしょっていう。で、今これが出てくると、あってもよかったはずのものがなかったっていう驚きがあるだろうっていうような意味での、要するに、この映画が存在することの現代性は何かっていうことを考えるんですよ。それは映画の内容が現代にアクチュアルに言及しているっていうことではないんですよ。今の状況下にこの映画をポーンと置いてみたら、どういう波紋が広がるかっていうことの、広がり方が面白いかどうかっていうことを考えるんですよ。万田さんはどうなんですか?

邦敏:いや、だから、ぼくは考えてないんですよ。っていうか、ぼくも、だから、スタンダードなものを作りたいなあと思う。それは映画を作りたいと思ったときからそうだったんですよね。頭の中にあったのは。結果的に、8ミリなんかで、スタンダードでないものを作っていっちゃったんだけど。でも、やっぱり、スタンダードなものが一番難しそうだし、やって面白そうだし、っていう。ただ、今それをやることの意味があるのかなって思うわけよ。で、そこは、自分の中で全然わかってないんですよ。ただ、やりたいからとにかくやってみようって感じで。で、『UNLOVED』も、ほんとに、日本映画を作りたいっていう気持ちがあったんですよね。見た人が、見終わった後に、わあー、日本映画見たね、久々に、っていうふうな映画を作ろうって思ったんですよね。そうやることの現代的な意味がどうなのかっていうことは、全然、ぼくは考えてなかったですよ。

塩田:今、古典的な映画っていうのは、あって全然構わないし、どんどん作られていいんですよね。それは、その、スタンダードなものがない映画状況の中で、スタンダードなものを提示するっていうことの意味は絶対あるんだけど、主題的に現代に関わっていかないと作家主義的な評価が成立しにくいっていう状況はあるんですよね。そこがね、作家主義の善し悪しとは別に、難しいとこで。

珠実:たぶん、私の中に社会性がないんでしょうね。『UNLOVED』の勝野の役は最初大学教授だったのね。だから、あのう、地位とか権力とかいうものを意識しても、そこ止まりなんですよ。

邦敏:だから、あれはやっぱり仙頭さんが、そういう意味で、プロデューサー的にアクチュアルだったわけでしょ。あれは仙頭さんがベンチャーの社長にしたわけだから。

塩田:一方にベンチャーの社長がいて、もう一方に配送業やってる兄ちゃんがいて、っていう掴まえ方は、ぼくはいいと思いましたけどね。だから、いわば、よりベタになったわけですよね。仙頭さんのプロデューサーとしての狙いは正しいと思いますけど。で、万田さんはそれをより明確に、厳格に形式化して。で、そのときに絶対に情緒は切れてんですよ。で、そのときに、ぼくが唯一あの映画で、混乱したというか、それは悪い意味じゃなくていい意味で、なにかひっかかるというか、解決がついてないのはね、雨なんですよね。この間も言いましたけど。

邦敏:はい。はい。

塩田:何故に雨が降るのか。

邦敏:はははは。

塩田:ぼくは『UNLOVED』を見終わって、この映画に、時間が流れていくっていう意味での情緒はまったくない、っていうね。日本映画における雨っていうのは、情緒の記号であって

邦敏:うん、うん、

塩田:で、雨が降って、やむっていうのは時の流れですよ。雨が降っているっていうのは情緒ですよ。で、まったく感じなかったですよ。

ははははは。

塩田:カメラの芦澤さんが、塩田さん、どう、あの雨の湿った感じの情緒がいいでしょって。で、ぼくが、ウッて。(言葉に詰まった仕草)

はははははは。

塩田:いや、カメラマンがそう言うのはよくわかるんですよ。たしかに、画だけ抜いたら情緒が感じられる画かもしれない、って思うんですよね。だけども作品そのものには、情緒がなくて、むしろすべての要素が徹底的に空間構造に変換されてて、時間が流れてないっていうのがね、すごく新鮮だったんですよ。『害虫』はまったく逆だったから。『害虫』はむしろ時間だけが流れていくっていうような映画だから。ま、この時間のことは、実は井川君(井川耕一郎。脚本家・「寝耳に水」監督)が指摘してくれて、はじめて言葉にできたことなんだけど。で、どうなんでしょう、あの雨は。事前の意図として、あるいは事後の解釈として、どうなんですか。

珠実:やっぱ、そういう資質がないからじゃないの。

邦敏:うーん、いや、まあ、雨がざーっと降ると、それはそれである種の感情的な高まりもあるし、静まりもあるし、そういう記号になるわけだよねえ、雨が。『UNLOVED』の雨もそういうつもりではあったんですけど、結局そうなってないっていうことは、

珠実:うん、だから、

邦敏:やっぱり、あそこで一番、あのう、勝野と主人公の光子の別れ話になってるわけじゃない。で、勝野が彼女からきつい一言を言われるシーンだよね。で、その一言がグサリと彼の心に刺さるっていう設定なわけですよね。そうすっと、やっぱり、雨でも降らすかっていう。

塩田:あー、言われてみればあそこはあそこで情緒があったかもしれないですね。

邦敏:うーん、いや、うーん、

珠実:意図はあるけど、感情込めるまではいってないよ。

邦敏:それはやっぱり前後の作りにも関係してんだと思うよ。いきなりやってもっていう。

珠実:そう、そう、そう。

邦敏:そこだけ単発に考えてもさあ、全然伝わらないっていう、

珠実:そうよ、そうよ。

塩田:万田さんは厳密に世界を作っていくけども、時折揺れてる感じがあるとすれば、ひとつは情緒で、もうひとつは編集の間なんですよ。いつもの万田さんよりは、少しゆったりしてた。どっか、余韻を狙ったっていうのがあると思う。ただね、物事が、いい意味で監督の意図通りに反映されないっていうことがあって、あれが余韻として機能しなかった。むしろ、考えさせる間になってるっていうのがあって。それが、より重く世界を突きつけてくるっていう感じを、ね。

珠実:それは私の意図だった。

邦敏:考えさせる間を作れって言ったのは、珠実ちゃんだった。

塩田:あ、そうなの。そうなんだ。それはうまくいってるって思ったんだよね、俺は。何か重いぞオって。

珠実:重さよりはね、疲れると思ったの。とにかく台詞が多いんで。それを咀嚼する間は絶対必要だって。そうじゃなかったら何が何だかわからないうちに終わっちゃうからって。

塩田:でも、咀嚼する間を作るから、より、臓腑に染み渡っちゃう、重さがさ。もっとスパスパ切ってれば、もう少し他人事でいられる。

珠実:そういうスパスパは、それはこの人のリズムだってわかってるでしょ、今までの作品はみんなそれだから。とにかく間がない。すべて同時進行で、あれよあれよという間に終わってしまうっていう。実際問題として、だから今までみんな40分で終わっちゃってたから。せめて1時間半のものを撮らなきゃいけないんだったら、そうやってちょっと長くしとかないとねって言って。

塩田:思いとは裏腹に、結局、あれがいい意味で時間が流れていくという感覚をより消して、なんかこう、出来事の空間が構築されたっていう、感じに見えちゃうっていう。

珠実:そういう意味では、時間は全然意識してないよね。

邦敏:いや、してないっていうか、

珠実:時間が流れてるっていう感じは全然なかったよ。

邦敏:ないんだよ。だから、困ったんだよ。っていうか、あの、いわゆるシーン繋ぎっていうのができないんですよ、ぼく。

塩田:いや、できてますよ。

邦敏:いや、いわゆるひとつのシーンが、見てる人に対してさあ、こう感情なりインパクトを与えていって、で、もちろん、登場人物の中の気持ちのつながりっていうのもあるしね、で、それが次のシーンで、すうーっと続かないわけですよ。分断されて、次のシーンは次のシーンでまた、みたいな。シーン、シーンが、見てる人の気持ちがすうーっとつながってこないし、登場人物の気持ちとしてもすうーっとつながってるようにはなかなか見えてこないしっていう。

塩田:いやあ、しかし、それは『UNLOVED』に必要な手続きではないじゃないですか。

珠実:『UNLOVED』に関してはね、シナリオ上そうだった。

邦敏:うん、それはシナリオからそうなってるわけだよ。

珠実:私なんかは、シーンのつながりなんて考えてない。べつにどこだっていいよ、場所は、話をしてればって。会話さえしてればいいよ、みたいな。だから、それはしょうがないと思うんだけど、そうじゃないほかの作品にしても、とにかく、次の違う場所にきたときに、スムーズじゃないわけですよ。なんか、ブチって切れるんですよ。

邦敏:さっきの時間のことでいうと、ある出来事があって、次の出来事があるときに、やっぱり数日とか、数週間とか経ってるわけですよ。その時間の流れっていうのは感じさせたいと思ってるわけですよ。よっぽどオーバーラップかなんかしようかなって思ったんですよ。で、ただ、オーバーラップする箇所が、そうすると2、3箇所しかなくなっちゃって、へたすりゃ1箇所っていう。だからそうすると、しだすとやっぱもう少ししとかなきゃっていうのがあったんで、もう、やめたんですよ。そういう意味じゃあ、時間の流れ、どれだけ時間が経ってるのかっていうのが、あのう、もうちょっとわからせたいなっていうのが編集のときにありましたよ。

塩田:ああ、そういえば『露出狂の女』のときに、あ、時間が流れた感じがしないって思って、OLかけた記憶があるな。高橋さん(高橋洋。『リング』シリーズをはじめとする脚本家)のシナリオも、あんまり時間の流れを気にしてないっていうのがあるね。だから、それはタイプとして絶対あるんですよね。…適度に時間が流れるのが情緒なわけですよね。

邦敏:そう、そう。

塩田:簡潔に、適度に時間が流れるのが情緒ですよねえ。

珠実:まあ、みんな下手っていえば下手なのかも知れない、今は。

塩田:いや、ほんとうは何か時間が流れてるって感覚なんかいらないんじゃないかっていう気も、どっかでしません?

珠実:うん、私は書いてるときはそうでしたね。完全に。

塩田:まあ、ネタににもよるんだけども。ひとつひとつのシーンの強さを高めていこうとすると、シーンとシーンの間にどれくらいの時間が流れたかっていう描写は、どんどん二の次、三の次になっていって。だから、強いシーンを並べて映画を作ろうとすると、時間の流れっていうのは、出しにくくなってくる。

邦敏:そういう意味じゃ、何でもないシーンとか、何でもない画面とかいうのは、すごく撮りづらいよね。でも、塩田はそういうのは、結構撮れるでしょ。

塩田:ぼくはねえ、時間の流れは、もしかすると黒沢さんや万田さんより上手いかもしれない。

邦敏:うん、そうそう。上手いでしょ。

塩田:それは弱点かもしれないんだけど。

邦敏:そういう意味じゃあ、一番塩田の映画が、その、ちょっと普通とは違ってても、一番普通に見られるようになってるでしょう。

塩田:いや、時間を流してしまう弱さが、ぼくにはあって、『害虫』は過度に時間を流して、

邦敏:でも、あの時間が流れていくっていう感じは、いいわけだよね。物語的にも、

珠実:うん、うん。

塩田:『害虫』の場合は徹底的に流れていくっていう。

邦敏:流れ流れてっていう話になってるっていう、

塩田:情緒を凌駕するくらい流れるっていう感じだったんですけども。…ほんとは青山とぼくが時間で勝負しようとしてて、黒沢さんと万田さんが空間で勝負しようとしてるって、もしかすると言えるかもしれない。もちろん、片一方だけやってるわけではなくて、どっちがより重視されてるかってことなんだけど。で、青山は時間の問題をずうっと、こう、時制の問題でやっていこうとしてたんだけど、『ユリイカ』はいったん、徹底的にそれをやめたわけだよ。それをやめて、別の時間の流れを見つけようとして、立派なものを掴んでるっていう。

珠実・邦敏:うん、うん。

塩田:もちろん、空間的にもすごいんだけど、カメラの田村正毅さんのあまりにすごい空間構築があって、青山自身にも空間把握の才能が抜群にあるんだけど、でも、多分無意識なのか意識なのか、考えていることは時間だったんじゃないですかね。『ユリイカ』でも、問い詰めていこうとしてるのはじつはずうっと流れている時間のことで。

珠実:『UNLOVED』でも、ラストに空のカットとかあるんだけど、とってつけたみたいで、全然違うもんねえ、『ユリイカ』の、山の緑がざわざわって揺れたりするカットと。

塩田:『UNLOVED』のラストに関しては、あそこで、あの若者が決断するかどうかっていうのが突然情緒の問題になってるっていうところがあって、映画のひとつの落とし方として、ああいうことでいいと思うんですよ。あそこが情緒的な決断だから、あの男はこの後も迷う、っていうことですよね。この後も迷うっていうことの終わり方の重さっていうのが、ずしーんってくるんですよね。ほんとに幸せかあ?っていう。

珠実:誰もハッピーエンドだなんて思ってないじゃない!

塩田:絶対あれは思わない。

邦敏・珠実:ははははは。

珠実:絶対思わないなんて、残念だなあ!

塩田:だって、俺はどう生きるかっていうのと、俺はきみと一緒にいるよっていうのは、別次元の話であって、

珠実:そうなのね。やっぱり男の人はそうなんだね。

邦敏:それは別次元にしたわけよ、それはね。別の次元で下川は納得しないと、もう彼女のところに戻れないなって思ったから、別の次元の納得のさせ方をして、

珠実:私はそうじゃなかったんだよねえ。

塩田:うふふふふふ…。

(B面は塩田のこのうふふ笑いで終わっている。このうふふ笑いは、邦敏と珠実が、あたかも下川と光子のように、これから舌戦を繰り広げることを塩田が秘かに期待しているようにも聞こえる。もちろんそんなことにはならなかったが、テープの切れ目が話の切れ目で、新作準備に忙しい塩田君をいつまでもこの会話の場に引きとどめておくわけにもいかない。
最後に、貴重な時間を私と珠実のために、あるいは『UNLOVED』のために割いてくれた塩田君に感謝の意を表します。)
copyright k+t manda all rights reserved.